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【催事報告】「『新しい世界』(ソウル・スタインバーグ):魔術的なものと脱魔術的なもの」の余白に

 瀧口修造の詩、美術批評、造形的な試みなどの活動を考えるとき、私たちは瀧口自身の設定したコンテクスト(余白)についてを無視することはできない。瀧口の著書『余白に書く』は、本を構成するテクスト以外の要素、すなわち「余白」がひとつのモチーフになっているからだ。
 だが、瀧口没後の受容において、このような自身の設定した「余白」は必ずしも自明のものではなかった。本展のカタログ所収の拙稿にて詳述しているので、ここでは要約して記そう。『余白に書く』は没後に2度、べつのかたちで刊行されたが、それはレイアウト、判型、造本だけでなく、収録テクストが変更されている場合もあった。それら没後の版から初版の状態を再現するのは難しく、『余白に書く』の「余白」は見えないものになってしまっていたのだ。テクストはそれぞれ個別であると同時に、「余白」に付与された効果があるにも関わらず。
 本トーク内で石岡氏は、上述の状況に加え、後続の批評家たちが自らの仕事を成す上で瀧口の「余白」を批判的に継承していたとは言いがたく、むしろ見過ごされてきた「余白」があるのではないかと指摘した。そしてアーカイヴへの注目が高まるなかで資料へ精緻に向き合う機運も起こり、瀧口の後続を含めた20世紀の仕事に向き合えるようになったこと、現在において改めて瀧口の仕事を見直す必要を述べた。
 瀧口の仕事には、これまであまり注目されてこなかった側面がある。石岡・久保の両氏がトークの主題として設定したソウル・スタインバーグ『新しい世界』の日本への紹介はそのひとつだ。一種のカートゥーン(漫画)ともいえるこの「絵本」は、抽象的な線から具象的なイメージへといたるダイヤグラムが描かれ、どの時点で魔術化と脱魔術化が起こるのかについての思考を促すものとなっている。瀧口が「絵具の粘ばりや厚みなどを、人間の脂肪と一緒に、しゃぼん玉のように吹き払ってしまったところで、絵を走らせ」ると語るスタインバーグの紙面、すなわち魔術化と脱魔術化を交互に起こす紙面に注目していることを、二人はあきらかする。瀧口も自身が行っていたドローイングを通して、書くこと/描くことの境界、そして意味の生成と意味の消失の境界を探求し、この魔術化と脱魔術化について思考していたということができるだろう。
 トークではヴァルター・ベンヤミンやアンドレ・バザンなどの写真・映画論と比較しうる瀧口の仕事についても話題にのぼった。これまであまり焦点の結ぶことなかった瀧口の側面を、当時の記録を精緻にとらえながら振り返る時期が来ているのだろう。

山腰亮介|2018年3月14日

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