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【催事報告】「個別性と一般性の対が科学的実験を規定し、単独性と普遍性の対が詩的実験を規定しているのならば、その四項を柱とした部屋をうろうろ歩く「私(たち)」とその部屋に映し出される物たちの群れを「レイアウト」すること、「影どもの住む部屋」とはその過程で生まれるいくつもの書物のことではないだろうか。」の余白に

 一冊の書物を制作することをひとつの行為としてとらえたとき、その制作プロセスには、その行為を構成する細分化された無数の「行為」が折りたたまれている。そのようなが折りたたまれた行為がひらかれることを待っている書物を、私たちは一冊知っている。

 瀧口修造の『余白に書く』(みすず書房、1966年)は、書斎あるいは制作の場が中心的なモチーフであり、まさに「一冊の書斎」とも云える書斎の模型であった。「余白」とは、書物の欄外にある文字通りの余白でもあるが、それだけではない。制作という行為の周辺にある場所、すなわち書斎もまた「余白」として捉えることができる。書斎とは、制作プロセスの中で様々な思考や記憶が縦横無尽に飛び交う場所すなわち「影ども」の住む部屋である。この展示を見る私たちは、出展された書斎写真(これも書斎の「影ども」のひとつであろう)を通して、1953年から1979年に至るまでに瀧口が繰り返し行った部屋のレイアウト(布置)の編集に気づくとともに、1955年から1965年に書かれたテクストのアンソロジーである『余白に書く』に注目し、その初出資料群に掲載されたテクストと『余白に書く』で再録されたテクストを比較することで、それぞれ異なる出自を持つテクスト群が一冊の本として結晶化する際の編集の手続きの一端をたどることができた。そして、この展覧会自体もまた、『余白に書く』という書物の模型として「読まれる」ことを意図していた。『余白に書く』が一冊の書斎として捉えられるように、この展覧会自体を「一室の書物」と捉えることも可能であろう。さらに展示の模型として作られた展覧会カタログは、展示空間を紙面上のレイアウトで再現を試みる、いわば「一冊の部屋」でもあった。

 トークでは、瀧口修造の書斎写真や『余白に書く』とその初出資料群のそのような性質を指摘するだけではなく、企画者である久保氏、展覧会のポスター・DM・カタログをデザインした「いぬのせなか座」の山本浩貴氏、そして本展に特別協力した私の三名が、瀧口修造の諸資料を、それらを公開する展示を、展示自体の模型でもあるような印刷物を、編集・制作したプロセスについて語った。
 その一端を紹介しよう。久保氏は、自らが本展のために執筆したリード文が、山本浩貴+h氏の二人によってポスター内に改行などを伴ってレイアウトされたことで、テクストの構造があらわになり、編集・書き換えを促されたと語った。山本氏からはポスターについて企画側から提示された注文、具体的には、出展資料のなかのどれかひとつをピックアップするようなデザインにはしないこと、『余白に書く』の初出資料群のリストを掲載することなどに応えるなかでレイアウトが決まったことが語られ、企画者側とデザイナー、双方向の働きかけによって制作された過程があきらかにされた。展示のレイアウトも同様で、キャプションや出展資料の配置の一部にカタログのレイアウトからのフィードバックがあり、展示とカタログは必ずしもどちらかに従属するものではなく、相互に関係しあい、構築されていったことが語られた。
 また、カタログに収録された久保氏と私のテクストのそれぞれに挿入された、一見すると同じもののように見える二つの図版の微妙な差異が、レイアウトによってより明示的になった例についても話題にのぼった。レイアウトなどの形式と、テクストをはじめとした内容を一致させようというモチーフが本展の随所で見られるが、本展の印刷物に施されたレイアウトは、かならずしもその一致において絶対的なものではないことも言及された。私たちのテクストやレイアウトは、制作の過程で何度もその姿を変えていき、それぞれの判断でカタログとして結晶化したテクスト・レイアウトも、今後変化する可能性があることが示唆された。
 山本氏は『余白に書く』の掲載された「白紙の周辺」のなかで「私だけが知っている」というときの、「私」とは誰か、とトークで問うた。編集がおこなわれている過程で、さまざまな「私」がそのときどきに現れ、その「私」とはいつ、どの時点での瀧口という個人に還元されるのだろうか。「白紙の周辺」は雑誌『みずゑ』(1963年)に発表されたが、『余白に書く』に収録されたときに大幅な変更が為されている。編集の過程でそのつど立ち現れる「私」の「影」はひとつではなく「影ども」であり、複数化している。久保氏がトークのなかで語ったように、私たち四人の共同制作は、アイディアの提案は各々から発せられたもので、テクストやレイアウトの最終的な決定は各々が為したものではあるものの、その編集過程では各々のアイディアが混ざりあい、その境界があいまいになるものであった。編集のなかではいくつもの「私(たち)」が立ち上がってくるのだ。

 イベントでは、山本浩貴+h氏が制作した瀧口修造のテクストのアンソロジーが配布された。このアンソロジーはそのレイアウトによって、まるで部屋をうろうろと歩くかのような感覚を読者に与え、まるで「丁づけされない本」(「白紙の周辺」)のように機能し、終りがないかのようにも読めると久保氏は指摘する。瀧口自身の言葉によって語られるこの瀧口論として読めるこのアンソロジーは、レイアウトがテクストの持つポテンシャルを引き出すひとつの方法であることを示しているといえるだろう。
 このトークのタイトルは、瀧口修造の「詩と実在」(1931年)が念頭に置かれてつけられた。それについて久保氏からつぎのように説明された。「詩的」実験と「科学的」実験は異なるものであり、「科学的」実験で抽出されるもの(たとえば実験室でNaClのような元素記号に置き換えられる「純粋な」塩のように)は交換・再現可能な一般性を持ち、不純な要素が取り払われた個別的な「もの」である。一方で「詩的」実験は、「科学的」実験では排除されてしまう、一般化を拒むもの、すなわち再現不可能な不純物を含んだ単独的なものでありながらも、普遍性を持つもの(読まれうるもの)といえるだろう。それに応じて山本氏は、ある特定の個人である「私」に還元されない「私(たち)」を考えるときに、瀧口が『近代芸術』(初版1938年)から考えていた「オブジェ」の問題が立ち上がってくるのでは、と問題提起し、久保氏との掛け合いが生まれた。「オブジェ」とはコンテクストから切り離されたものと定義することができる。だが、コンテクストから逃れることは難しい。仮にコンテクストから逃れ去るものがあるとしたら、むしろ不純物が前景化した「もの」であり、「オブジェ」とは単独性と一般性を同時に備えたあわいのものではないだろうか。瀧口修造は、制作が続く限りあり続ける生とはなにかを、「オブジェ」を操作し、編集し続けたことで問い続けていた人物であった、とひとつ結論づけることができるだろう。
 本展で「私(たち)」が編集・レイアウトしたこの展覧会も、上述のような持続のなかで制作されたと考えることができるだろう。そして、ある対象を研究すること、また展覧会として提示することは、あらたにレイアウトを施すことに他ならない。この展覧会を通して「私(たち)」が提示した方法は、瀧口の提示した「影どもの部屋」とは、別のものであろう。ものをレイアウトすること、すなわち部屋をうろうろ歩くことで、瀧口自身が書斎のレイアウトの改変によってその都度に別の書斎を提示して見せたように、また初出形体から編集を介して『余白に書く』が一冊の書物として結晶化した後もさらに編集を施されたように、「影どもの住む部屋」はいくつもの「書物」として生まれ、これからも生まれることになるのではないだろうか。

山腰亮介

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